VGMdb
Go Back   VGMdb Forums > Discussion > Video Game Music Discussion > Album Discussions
Register FAQ Calendar Search Today's Posts Mark Forums Read

Reply
 
Thread Tools Search this Thread Display Modes
  #1  
Old Jan 10, 2020, 07:15 PM
Aifread's Avatar
Aifread Aifread is offline
Senior Member
 
Join Date: Sep 2016
Posts: 714

Added "TRIALS of MANA Original Sound Version" as an alternate title. It was added to the original already, but not this reprint.
Reply With Quote
  #2  
Old Jan 11, 2020, 05:42 PM
Aifread's Avatar
Aifread Aifread is offline
Senior Member
 
Join Date: Sep 2016
Posts: 714
Default

Edit was rejected for this reason:
Quote:
Trials of mana will at the very least be a remastered version of this, not the music on this old album.
This is incorrect. The original SNES game's official English name in Collection of Mana is Trials of Mana. That's not just a name for the remake. Official site here: https://collectionofmana.square-enix-games.com/en-us

This change has already been applied to the product page: https://vgmdb.net/product/214

Last edited by Aifread; Jan 11, 2020 at 08:29 PM.
Reply With Quote
  #3  
Old Jan 13, 2023, 06:25 PM
JTurner JTurner is offline
Senior Member
 
Join Date: Dec 2007
Location: Highland Park, NJ
Posts: 132
Default

Kikuta-san's liner notes for this album are quite massive. It was a real pain in the neck to try to transcribe them via iPhone.

「君は何を望んだの?」
「自分を愛されたものと呼び、愛されたと感じることさ。この地上でね。」
レイモンド・カーヴァー

創作とはなんだろう? 聖剣伝説3の音楽を探り始めたときに、漠然と僕の心の中にあった思いを言葉にするならば、きっとそんな疑問 符であったに違いない。創作とは何か。物を創ることとはなんだろうか。そしてその問いは、創作を生業とする 者にとって、どういう意味を持つのだろう。僕自身の聖剣伝説3への関わりを振り返りながら、今あらためてそ の疑問に答えを見つけてみたいと思う。 さて、手元の資料によると、 聖剣伝説3という企画が立ちあげられたのは、 1993年12月のことである。無論その段階では、システム的な仕様しか決まっておらず、ストーリーや内容 に関しては白紙のままだ。 我が音楽チームの仕事は、新しいサウンドドライバーを制作することから始まった。プログラマーの鈴木君がそ れを担当することになり、データの持ち方やインターフェイスなど綿密に相談して、基本部分が完成するのに、 約三ヶ月を要している。その間に、企画チームの方では、主なストーリー構成、マップ配置、キャラクターの詳 細が詰められ、徐々にゲームの方向性が固まっていく。コンポーザーとしての僕の仕事は、まず音楽のコンセプ トを立てることだった。以下、当時書いた企画書を見てみよう。

「前回(聖剣2)のコンセプトは「良い音で美しい」ということでした。つまり、従来のスーパーファミコンを 媒体としたゲームが成しえていなかった高いクウォリティーの音質を実現し、 その特長を最大限に活かした、透明感のある音楽を作ることによって、より多くの人間に馴染みやすい世界を産 みだす、ということを主眼にしたわけです。曲の内容としても、ポップなものと民族楽色とを混在させることに より、様々なユーザー層を同時に引き込みつつ、 他ゲームとは違ったオリジナリティーを確立することに成功しました。そして今回は、そこで確立したイメージ を踏まえたうえで、より新しいコンセプトを打ち出したいのです。それは「変だけど格好いい」というものであ ります。前回、いわゆるゲームミュージックと呼ばれる音楽的偏向を嫌い、一般のポップミュージックとの融合 を図ったのですが、今回はさらにそれを推し進め、より従来のゲーからは離れたところに立脚点をとりながらも 、機能としてのゲームミュージックが求める最大のポイントである、格好良さの実現を最重要課題にするという 、二律背反的な目標を掲げています。 その狙いは何処にあるかといえば、現在のゲームミュージックが落ち入りつつある陥穽、旧態然としたアニメB GMの模倣や、 既存の音楽ジャンルの手法のみを取り入れてそれに寄りかかるなどの悪弊を廃し、より高い想像性を実現し、さ らにはゲームミュージックというものに対するユーザーの意識を柔軟にし、再活性化させたいのです。たとえ目 標は一つでも、解決方は幾通りもあるはずです。」

認めなくてはならない重要なファクターとして、同じ器には同じ量の料理しか盛れない、ということがある。 たとえROM容量が増えたとしても、それをそのまま音楽の質に反映させるわけにはいかないハード的な制約が 、 スーパーファミコンには有り、いったん限界まで攻めたものを、さらに全ての面でグレードアップするというの は出来ない相談で、何か新しいものを取り入れるとすれば、今までのものを捨てなくては収まらない。そこで僕 は、聖剣伝説2で実現したHighFidelityな音質を、敢えて今回は捨てることにした。言うまでもな くそれは冒険である。 同じことはしないというのが、信条であるとはいえ、リスクの高い選択であったと、 自分でも思う。ではその結果手に入れたものとはなんなのか、順を追って説明しよう。 聖剣伝説というソフトは、RPGとはいうものの、多分にアクション的要素を含んでおり、特にマルチプレーヤ ーという点で、効果音を作る立場としては頭が痛い。 何故なら、敵味方キャラクターの各々が勝手に音を立てるため、それぞれに音源を割り振っていたのでは、あっ という間にスーパーファミコンの同時発音数8音という限界をオーバーしてしまい、音楽が鳴らなくなってしま うからである。 マップ画面とバトル画面が分かれている通常のRPGではこんな問題は起こらないのだが、限られた発音数の中 での音楽と効果音の両立という命題が、僕にとって最初のハードルであった。結果として、効果音には後着優先 で2音をアロケーションする事を決め、 音楽はほとんど全ての曲を6音のみで作曲する道を選んだ。これも言うまでもなく、冒険である。この6音とい う数字は、一般的なフォーマットの音楽を作る音数としては、最小のものである。 まずリズムトラックに2音 ベーストラックに1音は不可欠だ。すると残りは3音で、 三声の和音を鳴らせば、それでお仕舞いになってしまう。もし8音ならば、メロディを加えた上、四声の和音ま で使えることを考えると、これはコンポーザーにとって厳しい制約である。さらに、同時に鳴る音数が少ないと いうことは、必然的に曲の密度が低い、あるいは音楽全体の迫力に欠けるということを意味している。 当然、聖剣伝説2の時にとった方法論、シンプルな音を、数多く配置して曲の密度と透明感を同時に実現する、 といったやり方は使えない。音数が少なくなれば、それだけ一個一個の音に存在感が求められるからだ。それを 解決するためには、音源としてのサンプルの容量を大きくしてやらなくてはならない。 スーパーファミコンは限られたスペックながらサンプリング音源であり、 実際の楽器の音などを本体内にメモリーして、音源に当てている。そのサンプルの容量を大きくしてやれば、楽 器の持つニュアンスや音楽的表情などをより詳しく再現することが出来るという理屈である。 ただ、それはROMカセットの容量を著しく消費するとともに、そのサンプル自体の使い勝手を非常に悪いもの にするという弊害がある。おまけに、サウンドDSP上に同時に展開できるサンプルの容量は、ごく限られてい るのだ。その問題に対する僕の答えは、 簡単だった。 アコースティックな音楽を基調にする、 というものだ。一台のピアノー本のギター、 それらを表情豊かに奏でることによって、少ない音数、少ない楽器でも、充分に密度の濃い音楽が構築できるは ずだ、僕はそう考えたのだ。総サンプル数34個。 スーパーファミコンというメディアで大容量RPGの音楽を賄うには、決して多くはない数だが、ひとつひとつ の音の空気感や存在感にこだわることで、より高い表現力という武器を手に入れることができるのだ。 サウンドデザイナーである菅原君の一ヶ月に渉るサンプリング作業に支えられて、それは現実のものとなった。 さらに副次的な特性として、コンシューマー用ゲーム機の音響効果としては類稀な重低音を実現した。 このことは、ステレオやラジカセなどの高性能の出力装置に繋いだときに顕著で、 実に劇的な効果を生む。 現在リアルタイムでスーパーファミコンから出る音としては、おそらく最高のものであろうと、自負している。

さて、この段階で5月の初旬。 僕の方は既に幾つか曲のアイデアを溜めてはいるものの、本格的な準備には入っていない。 出来上がったサンプルデータを元に、作曲用シーケンサーのカスタマイズなど、 周辺機器の環境整備にさらに二週間が費やされる。 基礎となる作業を終えて、聖剣伝説3のための曲が、最初に書き出されたのは、5月の半ばであった。 最終的には180曲程になるそのスケッチは、あるものはそのまま採用になり、あるものはゴミ箱に直行となる 。 しかし、それらのうちの最初のデータをサウンドドライバー上で聞くためには、8月上旬まで待たねばならない 。さらに、スーパーファミコンの内部仕様の微調整を含めて、 完全版といえるデータが出来始めるのは、 実に10月も末のことなのである。そしてその作業は、この文章を書いている1995年6月現在も続いている 。 足掛け1年半にも渉るプロジェクト。今振り返ってみれば、前回にも増してリスクの高い仕事であったように思 う。 音楽的指標から方法論、問題処理、果てはスケジューリングに至るまで、あまりと言えばあまりの綱渡りぶりに 、自分でも笑ってしまうのだが、そういった挑戦的姿勢を身上とすると公言しているだけに、どこに文句を言う わけにもいかない。ただ、放っておくとすぐに怠惰という陥穽に落ち込もうとする、平均的日本人の一人として 、それを免れようと自己の精神的緊張を高めるのは必要悪というものなのだろう。なにはともあれ、目標地点を 決めて、尽くしてそこに辿り着くというのは、得難い喜びである。 それが未踏の地平であるのなら、なおさらのこと。常に新しい場所に向かおうとする試みを、いつも自分に課し ていたいと思う。 そしてそれを、創作とは何かということに対する疑問の、片方の極にある答えとしてみたい。オリジナリティー と呼ばれるものを僕は切望し羨望する。インデビィデュアリティーと呼ばれるものを僕は尊重し模索する。どち らも、独創性あるいは個性といった意味である。他人と違ったことがしたい、他人と違うものが見たい、他人と は違ったものが作りたい。自分が自分であるというまさにそのことが、 僕を今居る場所に安住させないための斥力となっているようだ。その力を、知的な側面から人を創作という行為 へと導くものだとすれば、もう片方の答えは、おのずと顕かであろう。 情動という側面から人を創作へと駆り立てる力。その根底にあるものが何かということを、この小論の序文とし て掲げた、アメリカを代表する短編小説家、故レイモンド・カーヴァーの手になる詩編の抜粋が、簡潔に言い表 してくれている。 愛されたい、理解して貰いたいという切なる欲求は、コミュニケーションという、人間にとって必要不可欠な心 の営みを論じる上で、忘れることの出来ない本質への扉である。 それは、人間を動かすモティベーションであり、日々心の中で生み出されるドラマそのものであり、互いに分か り合うことを理想且つ目標とする僕のような創作者にとって、常に発想の出発点として抱き続けていくべき宝の 箱のようなものだ。その箱を開けて、 空っぽの中身を見つけるとき、僕の心は激しい飢えに苛まれる。 それを、 何か美しいもので満たしたくて、 ある限りの音を鳴らしてみる、 思い付く限りのフレーズを奏でてみる。 すると、ごくに、自ら光を放ち始める音の連なりがある。そういう欠片を寄せ集め、注意深く丁寧に紡いでいく と、宝石のように結晶するものが出来上がる。 それは僕自身のようでもあり、僕が育ってきた原風景のようでもあり、僕の生活を形作る人々との会話や、昨日 読みかけた本のページや、よく見ればいつか出会った南の海の蒼さであったりするかも知れない。 僕にとって音楽とは、そうした地道で苦痛を伴う精錬作業の結果、日常と思惟との狭間から生み出されるものな のである。もし僕の創る音楽が、 君達の心に何らかの情緒を喚起させ得たとすれば、それは、僕の中にあるこれら大切なものの結晶を、僅かなり と君達に手渡すことが出来たからに違いない。 逆に、僕の創る音楽に、君達が、退屈や惰性しか感じとれなかったとすれば、それは、僕がその結晶を音楽とい う表現媒体として組み上げる過程で犯した大きな誤り、たとえば知恵のこだわりや、依怙地なプライドや、慢心 、狭量、等々の故に他ならないのである。重ねて言うが、僕は君達に、何かを言いたいのではない。僕は君達に 美を、 あるいはそれはscapeであり visionでありemotionであり、究極的にはlifeでああるはずの輝きを、見せてあげたいのだ。 人という個としての存在が、他者に向けて何かを表現しようとする、 そのコミュニケーションとしての行為そのものを創作と呼ぶならば、それは基より、人に発したものとして人に 帰着するのが筋ではないのか。故に僕は、全ての創作は人に向けて為されるべきものであると考える。創作物は 、それが発想され記録され流布される上での様々な制約を乗り越えて、必ず何らかの人間的真実を、 その中に保持し続けなくてはならない。決して、魂を持たない空疎な記号の羅列や、借り物のイメージの集積に なってしまってはいけないのだ。ゲームというメディアが、ゲームミュージックという分野が真に時代の子であ るために、また時代の壁を越えていくために、そういった、送り手と受け手とを含めたフィールドでの、幅広い 意識の向上が必要且つ急務であると、僕は思う。より高い場所へ、より遠い地平へ。それは決して、幻ではない 。

さて、長々と書き綴ってきたこの稿を終えるに当たって、仕事の上で、また生活の上で、僕を支えてくれた人々 に、簡単ながら謝辞を述べさせていただく。彼等の力無くしては、この作品は生まれ得なかった。 それから、僕にインスピレーション与えてくれた多くの先人達にも感謝の意を表したい。ブライアン・イーノ、 イゴール・ストラヴィンスキー、バリー・グレイ、バーデン・パウエル、アビゲイル・ミード、ジェフ・ベック 、プリンス、スティーブ・ライヒ、等々。オリジナルであることの魅力は、他を圧して印象的であった。 最後に、 この作品を聴いてくれた君に。ありがとう。この作品が長く君達の胸に残り、日々を闘う力となれますように。

1995年6月 菊田裕樹
Reply With Quote
Reply

Thread Tools Search this Thread
Search this Thread:

Advanced Search
Display Modes

Posting Rules
You may not post new threads
You may not post replies
You may not post attachments
You may not edit your posts

BB code is On
Smilies are On
[IMG] code is On
HTML code is Off

Forum Jump

Similar Threads
Thread Thread Starter Forum Replies Last Post
NTCP-5030: Seiken Densetsu 2 Original Sound Version (reprint) Nisto Album Discussions 1 Dec 2, 2020 06:21 AM
PSCN-5026~8: Seiken Densetsu 3 Original Sound Version Namorbia Album Discussions 1 Feb 20, 2020 01:37 AM
N25D-019: Seiken Densetsu 2 Original Sound Version Kaleb.G Album Discussions 46 Oct 18, 2019 02:14 PM
NTCP-5036: Romancing SaGa Original Sound Version (reprint) Phonograph Album Discussions 0 May 13, 2018 12:52 AM
NTCP-5021~3: Chrono Trigger Original Sound Version (reprint) videodoodler Album Discussions 15 Apr 17, 2013 07:36 AM